30歳の誕生日を迎える前、どこか緊張感があった。
「ついにか…」という複雑な感情が入り乱れ、わたし個人の感覚では、ハタチで成人したときよりもミソジの入り口に立っている29歳の方が年齢の重みを感じていた。イ・ラン氏が29歳のときに書いた20代最後のエッセイを読んで、何か儀式のようなものをしなければいけないのではという気がしていた。そして安易に辿り着いた結論は、「記念の品を買おう」であった。
この話を思い出したのは、カルティエのトリニティが100周年を迎え、新作のクッションシェイプ(スクエア型)のデザインが発売されたからだ。トリニティは3つの指環が絡み合って成り立つ、言わずと知れたタイムレスな名品。この指環が、わたしの30歳の記念にぴったりだと当時思っていた。バッグでも財布でもない、30歳を迎える覚悟はジュエリーにしか背負えないと思っていた。
でも、結局買わなかった。
タイトルでネタバレしていますが、そういうお話です。
DCブランド全盛期にショップ店員だった母。バブル期に買い物をしまくっていた母なら絶対に「いいやん買うたら。」と背中を押してくれるはず。そう思い実家に帰省したときに聞いてみた。
「30歳の記念に、自分にトリニティ買うのどう思う?」
母の回答はこうだった。
「あんたそれ、30歳になるけん欲しいん?
欲しいもんは欲しいときに買えばええんよ、30歳の節目じゃなくて何でもないときでも。」
い…痛いとこ突かれた…
30歳になるから、欲しかった。
節目に買うなら何だろうと考えた結果、「憧れのジュエリーかな?」という結論に辿り着いたのだが、ずっと欲しかったわけでもなかった。むしろ、欲しいものは他にたくさんある気がした。そして、節目じゃなくても本当に欲しいものならいつでも買えばいい、というある意味バブリーなアドバイスが妙に腑に落ちた。理由をこじつけて買わなくても、欲しいというピュアな感情に従うのが一番だ。
念のため書いておくがわたしは買い物が大好きで、倹約家とは程遠い。なので、普段から節約をしていて、いろいろな節目にだいじなお買い物をする方には当てはまらない考え方かもしれない。むしろ、欲しいときに買うってアホなん?と思われてしまうかもしれない。また、お金持ちの方にもこの考え方は当てはまらない。お金が有り余っている方は、欲しいかどうか深く考えず何でも買えばいい。
ただわたしは、心も満たされる買い物をするためには、ジャッジの仕方を自分なりに持っておくべきかなと思った。この買い物は、「これが」欲しいのか、それとも「なにか」欲しいのか、ということ。
ふつうの人は、なにか欲しいっていうモチベーションで買い物行かないんじゃない…?
自分の感覚がズレている気もするのだが、長年アパレル業界で働いてきて、度々「なにか欲しい」と思い立って買うものを探すということをしていた。欲しいから買うのではなく、買いたいから欲しいものを探す、という順番だ。もうこれは、今後の人生ではなるべくしないようにしたい。
そういうわけで、30歳の記念には、なにもしなかった。
そして誕生日から数ヶ月後の台風の日に、ふと思い立ってずっと欲しかったカメラを手に入れた。そのカメラのおかげで、わたしの世界が広がった。
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