ガマンはエライ?

思考

石の上にも三年。

これは、どんなに辛い状況でも、耐え忍べばやがて物事は好転していくとか、道が開けるとか、苦労が報われるとか、そういう意味のことばだと認識している。

1年や2年で転職をするのも珍しくない現代では、いわゆる昭和チックな考え方としてSNSの見出しにされ物申されたりしている。近頃は流行りのショート動画で、「石の上にも三年?」という始まり方で、「わたしは、三年も続ける必要ないと思う!」「入社1年で会社を辞めたわたし。環境を変えて好きを追求して、フリーランスになれた!」「今はカフェで自由に仕事してるよん♪」みたいな投稿をよく見かける。リアルに5人くらい見たことある。

胡散草いなと思う反面、そういう人たちがとてもうらやましい。
なぜならわたしは典型的な石の上にも三年どころか五年、十年タイプだからだ。
自覚はあったし、そんな自分は好きではなかった。環境を変える勇気がない、意気地なしだ。

そうやって自分のことを揶揄しながらも、心のどこかでは、理不尽にも耐えられる自分はある意味でエライと思っていた。わたし自身がそう思ってやらないと、わたしが報われないのだ。

でも結局、心療内科のお世話になって仕事を辞めた今も、そう思うのだろうか?
そもそもなぜ、「ガマンしてエライ!」という自分が存在するのだろう。

やんかな
やんかな

誰かに言われたんか?

その理由は、ある人との会話の中で気付かされた。

最近始めたランニング。なんとか続けているけれど、わたしは小学生のときから長距離走が大嫌いだったという話をしていた。にもかかわらず、わたしは駅伝部に所属していたのだ。

理由は、駅伝部の顧問の先生に「かなちゃんは自分の嫌いなことからは逃げるんやな」と言われたのが悔しかったからだ。そう、わたしは単純に負けず嫌いだ。

このエピソードの話をしたときに、「その頃から嫌なことも続けてるんやな」というようなことを即答され、目から鱗だった。わたしは誰に教えられたわけでもなく、自ら10歳くらいの頃から「ガマンはエライ」の道を突き進んでいたのだ。そこから、わたしの我慢エピソードが走馬灯のように頭を駆け巡る。

中学時代には、生徒会の立候補者が定員しかいないということで、「コレでは選挙にならない。対抗馬として出てくれないか」と担任の先生からお願いされた。生徒会なんて面倒なものは勘弁してくれ、興味もないのに巻き込むなよ、と内心怒りを覚えながらも結局対抗馬として選挙に出た。そう、わたしは気の毒なことに断れない人間でもあるのだ。

綺麗な色のポスターが並ぶ中、わたしが油性ペンだけで描いた棒人間の選挙ポスターはなかなかエッジが効いていた。そして、結果として生徒会役員に当選してしまった。それからというもの、生徒会内での上級生からの圧(いじめ)に耐えながら、休むことなく出社(登校)しつづけた。部活内でもいじめがあり、これまた上級生から無視されていたときも休まず練習に参加した。どんな理由でも、休むなんて選択肢になかった。

ハードな中学時代とはまた毛色が違うが、高校時代はさながら修行のようだった。朝は6時40分の船に乗って学校へ通った。船通学だった。雨の日に船の座席に座れなくて、甲板で雨に打たれながら通学したこともある。そして、蛍と雪の明かりで苦労しながら勉学に励んだという故事成語に由来する「蛍雪精神」を掲げる高校で、受験は団体戦と言われ、苦しくても努力は当たり前という環境で過ごした。国公立大学の二次試験まで受けるのが美徳とされていた。私立大学で早めに受験を終えるなんて考えられない。結局、国立大学の後期試験まで受験した。

やんかな
やんかな

レールに乗ってる、日本の学生って感じやな

こんな具合に、誰かに言われるまでもなく環境に流されるままに耐え忍んできた。その結果今があるのだから、そんな自分を否定もできない。「我慢から学べることもたくさんあった。」とわたしの中の昭和が叫んでいる(平成生まれだけど)。なんなら、この程度のことで我慢なんて言えない、レベルが低い、とすら思う。上には上がいる。

ただ、社会人になってからは、我慢することそれ自体よりも、「環境を変えられない自分はダメだ!」と「でもガマンしてエライ!」の狭間をいったりきたりしていたことの方が、本当に苦しかった。さっさと自分の心の声に、正直になりたかった。本音では、「もう我慢しなくてよくない?」と、何度も自分に問いかけていた。

頑張れば結果が出てきた学生時代とは違う。三年で環境が変えられた学生時代とも違う。結果が出ても評価されないし、自ら辞めない限り数十年は環境が変わらないのだ。

やんかな
やんかな

で、結局ガマンはエライんか?

「ガマンはエライ?」ということに関しては、イエスともノーとも言えない複雑な気持ちだ。断言できないのは、やはり自分を肯定も否定もできないからだ。本音では、もっと我慢強い人間になりたいとすら思う。でも、本音のさらに奥のところで、何もかも放り出して解放されたい気もする。やはりわたしは、いったりきたりを繰り返している。

でも、これだけは断言できる。
これまで我慢してきたあなたを心から尊敬する。だからこそ、やりたいことがあるなら、逃げ出したいなら、我慢しなくていい。今すぐに、心の声に正直になればいい。それが、健康的な生き方だと思うから。

やんかな
やんかな

我慢しなくていい、シンプルな結論やね

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